作文の極意
息子が学校の卒業文集に載せる作文を持って帰ってきた。父兄に見てもらって、推敲してから印刷屋に送るという段取りらしい。そうか11月に入ると、そういう行事も入ってくるんだ、小学校生活の残された時間の少なさを感じさせられた。
しかし、その内容がめちゃくちゃ。テーマが「素晴らしい未来のために」とあり、その中のいくつかの小テーマから息子が選んだのが、環境だった。「はっきりいって、今の世の中は悪い」から大上段に構えて書き始めたその作文。なんで悪いのか、何が悪いのか、息子に言わせたら「作文読んだらわかるやろ」というが、さっぱりわからん。結びは、もっとよくなる。と一応の完結を見ているように見えるが、なんでよくなっていくのか、何がよくなっていくのか、さっぱりわからんまま終わった。大体、生態系がどうとか難しいことを書こうとしているけれど、態が能になっているし、本が木になっているし、誤字脱字も結構ある。
これを見た母親、激怒。「こんなもん、20年後、30年後読まれたら、あほ丸出しの作文って言われんで」と書き直しを命じられた。が、一応、先生からは基本OKというお墨付きをもらってきてるのが、癖が悪い。「先生、ええいうてんねんから、別にこれでええやん」といって、書き直しを拒否する。確かに小難しいことを書こうと、難しい言葉を選りすぐった軌跡はみられるが、内容はほとんどない。構成力とか、論旨の明快さとかはまるでなし、誤字脱字も含めて、これが作文試験だったら、0点に近いだろう。
そう、卒業文集の前に、中学入試の作文試験もあるんだ。これは、いけない。父母そろって、作文の書き方について、緊急講習会を始めた。「もっと、自分の体験を書いて」「難しいことより、自分らしい考え方をかけ」「物事をいろんな角度からみないと」とか、それらしいことを言ってはみるが、まだ、先生のお墨付きのほうに心奪われている。
うーん、どう説明したらいいのか? 議論を重ねているうちに、絶好の課題が見つかった。
「お姉ちゃん見てみ。たぶん、〇〇中学に行ったし、学校では借りてきた猫のようにおとなしいし、小学校の時に児童会の役員とかやってたから、お前の友達とかも知ってるやろ。きっと、優等生とか思ってるはずよ。お前の作文はそんなお姉ちゃんのことを書いてるん。だから、おもんないねん。
でも、家に帰ってきたら、ぽけーっと口開けてテレビ見てたり、森永のキャラメル知らんかったり、お前の知ってるお姉ちゃんはそんなに優等生に見えへんやろ。作文というのは、そういう自分だけが知っていることとか、違ったところからみたことを書いたら面白くなるんよ」
息子、まだ書き始めてはいないが、作文の極意はわかったようだ。