眠り姫とゲーム狂の受験日記

小学校の卒業文集に「東大、京大に入る」と書いた娘と、それを鼻で笑った父親の大学入試までの日記。それにつられて、「俺も京大」と言い放った弟の入試も添えて…

DNA

 昨晩、空手の昇級試験に受かった旨、連絡を受けた息子は上機嫌だった。練習帰りの車内で、あれこれ、空手のことを話していたかと思うと、何かの拍子に「僕、○○に行きたいんよな」と、姉が通う県内最高峰の私立中学の名前を挙げた(全国的に言えばそれほど高くない山ではあるが)。詳しく聞けば、その日、学校のクラスメートに「○○狙ってるんよ」と宣言したところ、異口同音に「絶対無理」といわれたことに発奮して「絶対、6年の最後に見返してやる」と思ったらしい。いや、頼もしい。

 実際の塾での成績を見ると、現状、私学3番手校に行けるかどうか? これから頑張っても、○○には届かないんではないか?と思える数字だ。

 私らの学生時代から続く○○中の地元のイメージって、メガネ君とメガネちゃんが一日机にかじりついて、青春のすべてをガリガリ勉強させられる感じ。よって、○○の制服を着た子が駅前のマクドナルドなんかにいると、「賢い子でも、こんなもん食べたいんやな」とか言われるし、マンガや雑誌を立ち読みしてても「○○の子でもマンガ読むんや」とかささやかれたりする。田舎の一般市民のイメージでは「○○生≒東大生」みたいな扱いだ。年寄連中ならほぼそう思ってる節がある。ま、実際はそれほどでもないんだが…。

 おそらく、まだ世間を知らん子供の世界でも同じようなイメージだろう。○○いく子は、天才。ドラえもん出木杉君みたいなのが行くイメージ。そこに行くと、うちの息子は、どちらかというと、のび太君に近い。級友たちが「絶対、無理」というのも頷ける。

 彼の自信の根拠はDNA。同じDNAを持つ姉が○○に行ったという事実だけだ。そこに努力とか、困難克服とかいうプロセスは存在しない。まあ、そんな根拠で物おじせず、「○○いくで~」と宣言できるところがいいのか悪いのか。瓢箪から駒、嘘から出たまこととか、いう言葉もありますし…。

 が、よく考えてみたら、中学受験をドロップアウト宣言したのが、先週土曜日、週が変わって木曜日には最高峰志望宣言。気まぐれ、その場しのぎ、気分だけ…、やっぱ、あてにはできないなあ。