眠り姫とゲーム狂の受験日記

小学校の卒業文集に「東大、京大に入る」と書いた娘と、それを鼻で笑った父親の大学入試までの日記。それにつられて、「俺も京大」と言い放った弟の入試も添えて…

補欠を待つ心境

 不合格通知をもらって初めて学校に行った息子。前半戦の私立中学受験はほとんどの子がどこかしらの中学に受かったことは聞いていたから、県立中も…。と思って登校したのだろう。が、予想に反して学校で受けた7,8人のうち息子を含めて合格者はゼロ。よその小学校より私立志望者が多いとも聞くし、頭のいい子たちがこぞって私立に行ったのかもしれん。まあ、落ちたこと、補欠合格に一縷の望みをかけている子ばかりになって、内心、息子もほっとしたのかもしれん。

 私、20数年前の大学入試のとき、補欠合格を待っていたことがあります。私の現役時はセンター試験の一期目。数学が壊滅的にできなかったので、基本志望は私立文系だったのだが、地元国立だけはセンターを数学抜きで出願できた。それもあって、記念に受けてみました。が、結果は、予想外にできた。各予備校のセンター判定は、こぞってA。常識的にはほぼ落ちることがない点数だった。

 が、経済学部だったので二次は数学と英語。非常識なぐらいできない数学が足を引っ張って、やっぱり落ちてしまった。当時は、個人情報の概念がなかった時代。東大合格したらサンデー毎日買い占めて近所に配ったといううわさも聞いたし、新聞の県版には地元大学の合格者の名前が当たり前のように載ってました。うちの高校は、その大学の最大派閥の一つ。私よりセンターできなかったのに、受かった同級生の名前を眺めて、なんだか余計悲しくなったな。

 数日して、補欠合格が出るとの話が舞い込んできた。壊滅的な2次の数学を悲観するか、奇跡的なセンターをみて期待をかけるか、当時はもう「来年、同志社行く!!」って決めてたし、でも、合格してみてもええなあと思うし、もう気持ちは整理がつかなかった覚えがある。

 指定の日、電話があった。でも、気分は複雑なまんま。様々なことを考えたせいで、合格してほんとに迷った記憶がある。結果、翌年の春、違う大学のキャンパスにいたのだが…。

 まあ、息子の場合、浪人っていうのはないから、悩む必要はない。でも、あれこれ考えてるのかなあ? 外からはゲームしかしてないようにしか見えないが…。