眠り姫とゲーム狂の受験日記

小学校の卒業文集に「東大、京大に入る」と書いた娘と、それを鼻で笑った父親の大学入試までの日記。それにつられて、「俺も京大」と言い放った弟の入試も添えて…

陶酔

 先の日曜日、我が家にとって最後の日曜参観があった。私が、息子の学校での姿を見るのも最後のチャンスかと思い、雨が降りしきる中、出かけて行った。この日に合わせてかどうかは知らないが、教室や廊下には様々な作品が掲示してあった。新聞の切り抜きに感想をかいたやつ、歴史の出来事を新聞調にまとめた歴史新聞…。ちょうどほかの親が立っていたところにあったのか、息子のものは見つけられなかったが、可能な限り見てきた。

 結論。うちの息子の文章力、クラスで最底辺かも…。

 いや、作文が下手なのはわかっていた。でも、仮にも塾で作文授業を受け、それなりに訓練を受けてきたのだから、6年生として中くらいのレベルにはあると勝手に思ってた。が、隣の5年生の廊下に貼ってあったものと比べても、やっぱり見劣る。ああ、ここから始めないといけないのか。

 塾の作文テキストにはこう書いてある。

「小学6年生のうまい作文では、合格は難しい。それより上のレベルで書かなければなりません」

 ああ、これが曲者なんだ。息子が大上段に構えた作文を書くのも、この一言のせいだろう。先日書いたように「書き手のメッセージ」を連発するのも、「論理的な考え方をしなければならない」と、支離滅裂に連発するのも、難しい言葉に酔っている感じだ。語彙力がないから、「論理的」に見合うような言葉を多用できないし、結局、その一言を連発することで、レベルを保った気になっているようだ。昨日も、「自己責任」をテーマに書き始めた作文が、「ムードメーカー」という言葉に陶酔した。自分がいかに教室を和ませているかを説明し、最後はムードメーカーが必要だみたいなくくりになってしまった。この作文には、責任の所在がないのですが…。

 今日から12月。試験まであと50日余り。語彙力を飛躍的に伸ばすのはまず無理。ゲームとコロコロコミックしか頭になかった時代が長すぎたのをいまさらながら後悔する。となれば、表現力でなく着眼点で勝負するしかないだろう。それを鍛えるには…。どうすればいいの?

 「小学6年生の知識なんて、たかだか知れてんねん。どんな難しい言葉を使ってても、大人にとったらふつうの言葉。それ使ったからといって、賢い文章ちゃうねん。」とは言い聞かせました。ま、そろそろ背伸びしたいお年頃、その気持ちはわかるが、2月からでお願いしたいなあ。