眠り姫とゲーム狂の受験日記

小学校の卒業文集に「東大、京大に入る」と書いた娘と、それを鼻で笑った父親の大学入試までの日記。それにつられて、「俺も京大」と言い放った弟の入試も添えて…

書いた人のメッセージが込められている

 今週末から12月。息子のおぼつかない作文を強化しようと、家庭作文教室を開くことにした。娘の時は、国語の小問に200字程度の文章を書く問題があり、同じように作文教室をやった。それのおかげということではないだろうが、少なくとも作文にびびることはなかった。

 第1回目のテーマは、「読書体験について、あなたの経験を踏まえて書きなさい」。読書といえば、コロコロコミックしか読んでることを見たことがないし、昔に書いたように5年生の夏休みの読書報告に絵本「100万回生きた猫」と書くしかなかったほどの経験しかない。しかし、実際に数年前の県立中入試に出た問題だ。考えようによっては、来年、当たることのない問題でよかったともいえるのだが…。

 さて、悪戦苦闘しながら書いた作文。600字程度との指定で約9割の540字程度を埋めた。塾では95%以上埋めるのが合格への道、と聞いてきたが、まあ仕方ない。書き出しは、本には「書いた人のメッセージが込められている、と考える」から始まる。ま、少々お堅い出だしだし、これに見合う読書体験が書けるのかどうか、心配になった。5行進むと「書いた人のメッセージが込められている」また、3行進むと「書いた人のメッセージが込められている」また「書いた人のメッセージが込められている」…。600字に足らない作文に都合7回「書いた人のメッセージが込められている」。字数にして120字くらいが「書いた人のメッセージが込められている」。1回は使っていいとして、あと100字が全く無駄。ほかにも、メッセージ、メッセージと数か所あり、「お前のメッセージはないんかい?」と突っ込みたくなる内容だった。

 塾では、大先生になったつもりで自分の意見をかけ、と指導されたらしいが、気負いに気負って、まったく内容のないものを書き続けている息子。文章を書くことに対しては、そんじゃそこらの塾講師には負けないと自負する父母にとっては、全くのナンセンスだと思うし、実際、塾の指導が強化される前のウケよう、おもろいもん書こうとしていた息子の作文のほうが、作文試験の本質にあっていると思うのだが…。

 でもね。子供にとっては、親より先生のほうが賢いと思ってる節がある。よって、意見を容れようとしない。

 4月時点でなんとかなると思ってた作文で、致命的な躓きを見せる息子。どないしたらええんやろ? 私の込めたメッセージが届くことは彼にはないのだろうか?