天の声
一期一会。使い古された言葉ではあるが、時にこの言葉を作った先人に尊敬の念を表しまくりたくなる時がだれしも一度や二度はあるだろう。
が、ためしに受けた塾の入塾テストのあと、状況が一変する。たまたま、塾の担当教官が私の妹。「○○なら十分狙えます」とのコメントを得た。ただの営業トークでないことは言葉の端々から受け取れた。当時通っていた公文の先生も「そんだけの点数取ったら塾に行かしたなるわ」と、引きとめもしなかった。そして、最も決め手になったのが妻の友人の言葉。
「伸ばせる才能があれば、伸ばしてやるのが親の務めでしょ」
嫁、この言葉に参って、ついぞ、中学受験を許した。もし、彼女がそういわなかったら、おそらく受験すらしていないだろうな。
その友人が先日、嫁と話し込んだ。テーマの一つは、塾をやめた息子のこと。なんでも、彼女がいうには「昔は中2の秋で人生の大きな岐路があるっていわれたんだけど、今は、小5なんだって」。息子、小5。確かに大学まで見据えるならば、うちの県ではそう思える。国立とか関関同立とかでも、近所の市立中学から公立高校では、門が非常に狭いようだ。さて、そこで彼女が言った言葉
「だめでもともとだし、県立中学受けてみたらいいんちゃうん?」
県立中なあ、前の塾でもほかの塾でも、結構塾には入れるみたい。が、小論文と面接、そして記述式の問題が多いため、何がどうなったら合格っていうのがないみたい。間違いないのは○○中に余裕で受かるぐらいの学力があればとは聞いているが…。その学力がつきそうにないからのリタイヤであって…。
たまたまだが、嫁の高校時代の恩師が今、県立中学の校長。懐かしさもあり、来月開かれる学校説明会に嫁が息子を誘ってみた。
「行ってもいいよ」と返事した息子。
さあ、天の声を聞き入れるか、どうか。小5の秋の最終分岐点が息子に迫ってきたようです。